右前と左前の違い
前合わせを、左右どちらを上にするかで「右前」「左前」と表現します。 “前(相手)から見て”右の衿が上に重なっているように見える着方が「右前」です。 きものは「右前」が正解です。
どっちだっけ?とあわてないために…
きもの姿は時代劇などで見慣れているはずなのに、いざ衿合わせについて聞かれると「右前?左前?」と迷ってしまう方も多いのでは? 実際にきものを着る際に「あれ?右前ってどっちの衿が上だっけ?」などとあわてないよう、絶対に間違えないコツを紹介します。
間違えないための3つのポイント!
きものは「右前」!
覚えたつもりでも、日常的にきものを着る機会がないとあやふやになってしまうのが人の記憶。
では、一体どうしたら間違えないのか、具体的な覚え方のコツを伝授します。
1、「前」=「先」と覚える
「前」という言葉には「先」という意味もあります。なので、「右前」は「右手に持った身頃を先に合わせる」と覚えましょう。
「右手に持った身頃」→「左手に持った身頃」の順番です。
2、右手で懐紙などをしまいやすく
きものではハンカチやティッシュを懐にしまったり、茶道で使う懐紙も懐に入れたりします。そのときに右手が懐に入る着方が「右前」です。 右利きの人が多いので、懐に右手を入れやすくするために、きものは右前になった、という説もあるようです。
3、もっとわからなくなったら
心臓を先に守る、と覚えておくと忘れないかも! 稀に心臓が逆にある方もいるそうですが、一般的に心臓のある左側をガードするように、先に右衿を当てます。
襦袢も浴衣も「右前」
きものの前に着る肌襦袢や長襦袢の衿合わせも「右前」にします。 浴衣も「右前」、比較的洋服に近い作務衣や法被なども同様に「右前」で合わせます。
なぜ、きもので「左前」はいけないの?
右の衿が上になっている左前は、現代では「死装束」を着せるときにのみ用いられます。 死装束とは文字通り、故人に着せる衣装のことで、白いきものが一般的です。 日本では昔から亡くなった方を死装束であの世に送る習慣があるので、普段きものを着るときに左前はタブーとされています。うっかり間違えないようにしましょう。
左前が死装束になった理由
一般的な説といわれるのが「この世とあの世は真逆なので、死装束も逆に着せる」というもの。 故人と生きている者を区別する意味もあります。 また、奈良時代の上流階級が衣服を左前で着ていたのに倣い、「来世では衣服を左前で着られるくらい裕福な暮らしができますように」という願いを込めたという説もあります。 このような理由から、きものを左前で着ると縁起が悪いとされ、物事がうまくいかなかったり、暮らし向きが苦しくなることを「左前になる」などと表現するようにもなりました。
きもの=右前となったのはいつから?
日本の文化として定着し、きものを着るときにはずっと守られてきた右前の着方。では一体いつ頃から始まり、誰がそのルールを決めたのでしょうか。
埴輪では左前も
布の中央に穴を空けてかぶっていた貫頭衣(かんとうい)と呼ばれる簡素な衣服を着ていた弥生時代から、きものの原型に近い衿合わせの入った形が現れたのが古墳時代です。 この時代に作られた埴輪を見ると衿合わせはバラバラで、左右どちらを前にして着用しても自由だったことがうかがえます。 古墳時代にはすべて左前で統一されていた、という資料もあります。
奈良時代に発令された右衽(うじん)着装法(ちゃくそうほう)
右前に統一されたのは、今から約1300年前。 719年(養老3年)に元正(げんしょう)天皇が「すべての人は右前で衣服を着なさい」という法律を発令し、服装の衿を右衽(うじん)に重ねる習慣がスタート。以後、右前が定着していくようになり、後に「右衽着装法」と呼ばれるようになりました。
中国の風習が影響
日本文化に大きな影響を与えてきた中国では昔から「右前」が正しいとされてきましたが、日本の古墳時代、中国に北方民族が侵攻してきて「左前」に変わったといいます。
この風習が日本にも伝わったため、埴輪に左前が登場するのですね。
しかし奈良時代に入り、中国も唐の時代になると、衿合わせを右前に直す風習が復活。それが日本にも伝わり、右衽着装法が定められるきっかけとなったのです。
<Take a Break>
ここで少しクイズを。
右衽着装法が定着した日本で、女性の洋服のジャケットやボタンなどは、きものとは逆の、左が前になる衿合わせが主流です。
欧米諸国から入ってきた文化だから?
でも男性の洋服は、いわゆる右前ですよね。
なぜ女性の洋服は左前なのでしょうか。
(答え)
中世のヨーロッパでは、ボタン付きの洋服が着られるのは上流階級である裕福な家の人に限られていたそうです。
身分の高い女性はコルセットをつけてからドレスを着用するなど、使用人に服を着せてもらうのが一般的だったので、対面した人が留めやすいように左側にボタンがつけられるようになったといわれています。
男性は自分で着ていたので、右利きの人が着やすいように、ボタンも右側になったのです。