事前に「そろそろ上蔟が見られるかもしれませんよ」と竹内さんから伺っていましたが、そこはさすが幻の蚕、通常の蚕とは育ち方も少し違うようで、目論見通りにはいきませんでした。
それでも、雨天の中、4万頭の蚕たちの様子を見学し、竹内さんから貴重なお話をたくさん伺うことができました。
当日は地元新聞社も取材に駆けつけ「幻の蚕ときものファンの逢瀬」は翌日の新聞に大きく取り上げられました。
●遠地さん
今回伊那を訪問し、幼い頃、実家隣接地に広い桑畑があり、その桑の実を食べ、唇を紫色にし、叱られた記憶が蘇りました。
お訪ねした竹内さんの取り組みは、維持保存された卵を浮化した蚕を無農薬の桑の葉を食べさせ育てているそうです。70年前飼育されていた方法とは全く異なっているようでした。
その育てているビニールハウスに案内されると、圧倒的な数の蚕達が旺盛な食欲で桑の葉を食べ、温度、湿度、風、日光が微妙に調整されたハウスの中で、まるで子供を愛情を持って育てるように、成長段階を敏感に察知し、会話しながら大切に育て、今まさに繭作りに入る瞬間を、今が時かと、待ち望まれているところでした。
果たして、日本和装の40周年記念プロジェクトの4万頭の蚕達が産み出す純日本産の絹糸が、何色に染められ、どんな経糸緯糸で織られ、美しい布は、どんな方を着飾るのだろう?
此を想像するだけで、胸がワクワクします。
幻の国産蚕よ、時を経て悠々と、美しく蘇れ!
きものファンを代表して新聞記者から熱心にインタビューを受ける3名
「こうやってざざーっと」上蔟のやり方を身振り手振りで実演中の竹内さん
●安川さん
雨音の中養蚕室に入ると、新鮮な桑の葉を無心に食べる美しいたくさんの蚕たちは、神秘的に感じられるほどで、黙々と食べ進める様子にしばし見入ってしまいました。
希少な太平長安の卵を4万というたくさんの数預かって大切に育み、このように清潔に美しく健康に育むためのプレッシャーと日々のご尽力を思うと、竹内さんと支えるご家族にただ頭が下がります。
竹内さんのお話の中で特に印象的だったことは、食餌の調整のために、何万匹もの蚕を一匹一匹手に取り目で観察して、成長段階ごとに分別なさったということです。いかに蚕に愛を持って育てているとしても、想像しただけでも途方に暮れるような作業だと感じます。また、温湿度などの変わりやすい環境を蚕に適切に整えるために日に何度も何度も計測し調整しているとのこと、昔家内工業として養蚕を親族大勢で行っていた頃とは異なり、重さがある道具を用いての力仕事も多いことも伺い、竹内さんの志の高さを強く感じました。無事糸ができるまで責任を持って育てますとおっしゃる強いまなざしの美しさも印象的でした。
竹内さんは学芸員をなさっていたご経験からも、子どもたちに養蚕を見て感じてほしい、伝えたい、という使命感から活動をなさっているそうです。これだけの工程と様々な方々の手仕事を経て大切に大切につくられた着物を身に纏うありがたさと日本の文化の素晴らしさを、子どもたちと共に私たち大人も改めて感じ伝えていきたいと思います。
貴重な経験をさせていただいた感動を少しでもと、早速私からも周囲の子どもや母たちに伝えました。
これからの蚕の成長と糸、反物、着物になっていく経過を引き続き本当に楽しみに見せていただきたいと思っています。
最後に記念撮影。向かって左から安川さん、福原さん、竹内さん、遠地さん
「信濃毎日新聞」「長野日報」「中日新聞」に掲載されました
●福原さん
蚕室に入ると、ストーブが焚かれ、室温23℃、湿度80%の中、桑を食む音がした。
上蔟は見られなかったが、掌に載せた蚕の小さな脚のざわつき、透明になっている背なをなでたときのなめらかな感触に、数日から数十年前までの記憶が溢れた。
友人が「着物ってほんとに命を纏うもの」と言ったこと、子どもの頃、母が光沢のある黄色味がかった山繭を持ってきてくれて驚いたこと、興味を持った私のため、父が蚕を連れてきて、桑の葉を摘んでやると繭になり、蛾が産卵するのを見たこと等々。
そして今日着ている着物も帯も帯揚も、皆、眼前の健気な蚕が命を輝かせながら作った美しい繭からできている。
それを多くの人の手で紡ぎ、染め、縫う。さいごに私たちが纏うことができる、と思った。
たくさんのことを思い出させてくださり、お忙しい中快く迎えてくださった蚕のお母さん、竹内さんに心より感謝申し上げる。
血潮透け 蚕(こ)の上蔟(あがり)たる 刻(とき)近し
【スケジュール(予定)】
2023年7月 日本で唯一「手挽き」を行う長野県の宮坂製糸所で生糸作り
2023年8月 生糸を使って京都丹後で白生地を製織
2023年12月 白生地を染めて反物に
2024年2月頃 きものに仕立て上がり